ご挨拶

ありがとうございます。

常照寺住職の内田照肇(しょうじょう)と申します。

 

当山は『本門佛立宗』という宗旨で、今から一六七年前の安政4年(1857年)に長松日扇上人によって開かれた宗派です。

 

その長松日扇聖人の教え歌に、

川水の樋にとめられてよどむとも

あとへかへらぬ人の一生

とあります。

 

教え歌のお意は「川に流れる水は、水門にさえぎられてよどむことがあっても決して逆流しないが、この川の流れと同様に、私たち人間の一生も決して後戻りはしないか今という時を大切に精一杯の功徳をご信心で積ませていただきなさい。」と仰っておられます。

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その昔、皆さまも学校の教科書で勉強したことのある随筆『方丈記』の一節にも

『ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。』

という名文がありますが、ご記憶にございますか?

 

現代語訳をさせていただきますと、

『川の流れる水は決して途絶えることがなく、今そこを流れた水はさっきの水ではなく、また、水の流れのない堰き止められた『樋』に浮かんでいる泡も消えてなくなる。この世に生きている我われもこの水の流れと泡のようなものである。』という意味ですが、この『方丈記』『枕草子』『徒然草』とあわせて「日本三大随筆」のひとつに数えられており、作者の鴨長明(かものちょうめい)は『方丈記』の中で「人生とは何か」という無常観を自身で問いかけているのですが、それと同時にこの随筆『方丈記』を目にする私どもにも人の一生は「無常」であるから、それを心得て人生を歩むよう問いかけているのです。

 

私たちの住むこの娑婆世界は無常の世の中で、いつどこで何が起きるかわかりません。

健康に自身のある方が、突然原因不明の病気に襲われ倒れてしまったり、或いは日ごろ安全運転を心がけている方が、交通事故に巻き込まれ命を落としてしまったり、いつどこでなにが起こるか判らないのがこの世の中、私たちの人生です。 

 

日蓮聖人が「妙とは蘇生の義也」と仰っておりますように御題目をお唱えしていると、ダメがダメで無くなり人生が切り開けて参ります。

私たちと一緒に御題目をお唱えしましょう!