R4年10月の俳句:短歌:川柳 投稿壇  

◎今月は俳句に加えて短歌の寸評をと云う事で、少しならず戸惑いましたが、俳句と短歌の違い、つまり、1に俳句は季語

 を必要としますが短歌は不要である事、2に短歌は31文字で詠うところ、俳句は17文字で詠う事の約束をわきまえてお話し

 していきます。作者の意に添わぬところが有りましたらご容赦の程お願い致します。(令和4年10月 片桐基城 記)

                   

◎夏の果て川辺で遊ぶ子らの声

※片桐基城先生寸評

 ●子供たちが仲良く遊んでいる健康的な声が、夏もそろそろ終わろうとする時に聞こえてくる、と云う景が良く見えてくる

 句で、視覚・聴覚に訴えた完成句です。そこで難しくなるかもしれませんがもう一つ上を目指しての詠法をご紹介します

 と、季語を下(座五)に持ってくると、その季がより強調されます。勿論、上五で強調する詠いかたも有りますが、その

 場合「や」で切る季語を使用します。ここでは、下五で強調してみましょう。

添削句=〔川の辺ではしゃぎあう子の夏終わる〕

 また、中七で「・・・あう」とすると「子ら」より詩的になりますよね。

 

◎白球に照葉集めてそら翔る

※片桐基城先生寸評

●空に翔んだ白いボールによって、木の葉が翻って陽に照っていると云うのですね。先の句と違って、ちょっと言葉が多く

 語の配列も前後していて失礼ながら読解に悩みました。先ず「葉が翻って照った」こと、葉を「集めて」とまで言わなく

 ても、白球に当って照った葉は、複数の葉であろうと想像できます。俳句は省略によって生かそうと云われています。

 そこで、私なりに考えて、「翻る」を平仮名にして複数を表示してみました。また「照り」ですから「耀り」とします。

添削句=白球にひるがえる葉の陽に耀にぬ

 

※俳句 澤村まつ子 (高根沢教区2部)

◎木犀の匂いをのせてそよぐ風

※片桐基城先生寸評

●佳く出来た句です。「乗せ」「戦ぐ」を共に平仮名書きしたところをはじめ、最後に「風」と詠ってより強調されてい

 ます。どこも文句を点けるところはありません。が、更に進んで考えるならば、嗅覚の「匂い」のところは、格のある

 ことば「薫り」それも平仮名書きで「かおり」としたいですね。

 

※俳句 大和佳子 (松原教区)

◎かげろうの飛び行き先は未知の国

※片桐基城先生寸評

●掲句は、「陽炎の行く先は・・・」の、発見が予想だにしませんでした。俳句はこうした発見(触発)を如何に表す

 (具象化する)かが大切なことです。俳句の初歩的基本は既に勉強し終えた方でしょうか。敢えて言うなら、「行

 先は・・・」「飛び行先は」ですね。たった一文字の工夫ですね。

 

※俳句 渡邉孝之 (江曽島教区2部)

◎イガの中親ぐり子ぐり抱きおうて

※片桐基城先生寸評

●栗の親子が抱き合っているように毬に包まれていると云うのですね。良く解る句です。この句は、助詞が無い堅苦しさと

 「何々して」の説明語(助動詞「て」)を使用しない方法を考えれば、結論が出ます。先ず「親栗と子栗」にするか

 「親栗子栗の」或いは「・・・と」と助詞を入れて考えます。次に末尾の「て」を取り、上五を全て削ってみたらどう

 でしょう。また、外皮イガは「毬」と漢字書きにしたほうがいいでしょう。そして、下五の「抱きおう」が解りませんが

 「抱きあう」とかいたつもりでしょうか。

添削句=〔親ぐりと子ぐり抱きあう毬のなか〕

    〔親子して抱き合っている毬のなか〕

 

◎ホバリング眼だけ上下の赤とんぼ

※片桐基城先生寸評

●正岡子規は、俳句は写生であると唱えたことで有名ですが、掲句は写生句であり、赤とんぼを良く視ている句とおもい

 ます。空中の一点に止まっていながらに、独特の大きい眼の玉だけを動かしている・・・と云う面白い処を「ホバリン

 グ」にかけているとは、触発に続く具象に長けていると思います。文句なしの句ながら、上五が名詞で終わる場合、上下

 何方を入れ替えても通じる句で「山本山」と云って気を付けるように云われています。「赤とんぼ眼だけ上下のホバリン 

 グ」でも同じですね。この場合(山本山になった場合)上に(助詞)を入れる事で済みますが深く考えたい問題です。

 

添削句=赤とんぼは眼だけ上下のホバリング

 

◎秋扇来夏くるまでしばし待て

※片桐基城先生寸評

●掲句の季語「秋扇」は「秋になって使用するのがまれになった扇が未だ仕舞わないで置いてある」扇を言いますから、

 其処を逆手に取って「来年の夏が来るまでちょっとのあいだ待ってていてくれないか」と、語りかけるように詠った

 所は面白いですね。しかし季節外れの句は是と言われていますが、来年の句を読み込むのは如何でしょうか。

 それも会話風に捉えているのですから、是なのですが、季が重なっていますし難しいですね。如何でしょう。

 

添削句=〔次もまた頼りにしよう秋扇〕

秋なりに秋扇を詠ってみますと「あの時はと思い出しては秋扇 基城」。でも、これでは季語を説明しているだけです

 ね。

 

※短歌 福田時子 (江曽島教区2部)

◎そこそこに秋の花々散歩道風に揺られて可憐なダンス

 

※片桐基城先生寸評

●散歩していたら、其処此処に咲いてる秋の花々が、恰もダンスをしているように、風にのって揺れています。と詠った

 のですね。短歌に字足らずの首は無いけれど字余りまた破調の名首は多くある、と云う事を聞いた事がありますので、

 不慣れながら、添削句=〔散歩道の秋の花々それぞれにゆらゆらゆらと可憐なダンス〕

 秋らしい景に風土的な趣きが整っているのでは・・・と思います。短歌は、省略は二の次にして中身を吟味するのが

 大切だと聞いた事がありますので、それを基本に考えて見ました。副詞「ゆらゆら」で、幾たびも幾つもを出し、風を

 詠わないでみたのですが、これで風に揺れていることが解りますよね。

 

◎時すぎて心ときめく再会に何から語ろう想いめぐらし

※片桐基城先生寸評

●再会の驚きと喜びは、それに変える事がないくらい嬉しいものですよね。その思いがけない再会に、何からお話ししたら

 いいかと、戸惑っている笑顔が見えてきます。偶然の再開に「何から話そうかと言葉をめぐらす」のは、誰も同じでは

 ないでしょうか。その七七を活かすには、上十六文字を一考したいところではないかと思います。

 

添削句=〔再会に心が深くときめきて尽きぬ話に想いぐらし〕

変えなくとも良いと思っていた下の句も変えて見ました。如何でしょう参考にして下さい。

 

※ことば集 岡田三枝子 (城東教区3部)

◎子供と向き合いながら子育てをする

◎子供は様々な引出しを持っている、それを伸ばすのが親の役割である

 

 

 

 ※ 片桐先生、丁寧な寸評有難う御座いました。

     尚、専門外である短歌の寸評まで頂戴し幸甚に存じます。

    今後共宜しくお願い致します。

 

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